「陽明門」本当にきらびやかで他と違う感じが漂っています。
陽明門には12本の柱があるのですが、その柱にはグリと呼ばれる渦巻きのような模様があり、裏側通路左手二本目のグリだけが逆さになっていて「魔除けの逆柱」と呼ばれています。
この柱は「建物は完成したときから崩壊が始まる」という考えからわざと不揃いの柱にするために逆さにしたのだと言われています。
よく見るといろんな彫刻を見ることが出来ます。陽明門にある彫刻は500以上あり一日中見ていても飽きないことから「日暮らし門」という別名もあるそうです。
神社には門を守るために像があり、その像を「随身」というのですが、この陽明門にも随身がいます。
ちなみに陽明門の左側にいる随身は弓を持って虎の敷物の上に座っています。ちなみに徳川家康は寅年で寅の刻生まれと言われているため、その寅を敷いて座るなんて何者なんでしょうか?
家康公本人かとも思いましたが、祀られている本人を自分で守るとは考え難いので別の誰か。
随身が着ている服に付いている紋が「桔梗紋」で「桔梗紋」を使っていた「明智光秀」説もありますが、これは明智光秀の子孫の「明智憲三郎」さんが自身のブログで語っているので詳しくはそちらを参考にして見てください。
明智憲三郎さんのブログ 明智憲三郎さんによるとこの随身の袴の紋は織田家の木瓜紋だそうです。と、なると織田家にこの寅の敷物に座って徳川家が調子に乗らないように抑えてもらい、門を守ってもらうという意味でしょうか?
確かに、徳川家の上で抑えられそうな人物は織田信長しかいない。 いろいろと考えると楽しくなりますね。
この随身の正体についてはいろんな人がいろんな説を唱えているので見てみると面白いかもしれません。
また、こういうことを考えながら歴史的建造物を訪れると楽しいと思いますので、ぜひいろんな空想を膨らませながらこの像を見てみてください。
陽明門をくぐると左手に「神輿舎」があります。
黒が金を引立たせていてとても渋くてかっこいい建物です。
多分改修後だと思いますが建物の色がとても鮮やかです。
「神輿舎」の内部の天井には天女が描かれて、この笛や琵琶や花を持って舞うこの天女は「日本一美人の天女」とも言われているそうです。
春の祭りで神輿が建物から出たあとに天女の下で拍手をすると鳴龍と同じような反響があるそうですが、ここでは「天女のささやき」が聞こえるそうです。
ちなみに3つある神輿は左から「源頼朝」「徳川家康」「豊臣秀吉」だそうです。徳川家康と源頼朝はわかります。
もともと日光は源頼朝の時代にはすでに宗教的意味があった場所ですし、徳川家康は征夷大将軍になるため「源氏」を名乗っていたので、源氏の代表と言えば源頼朝とかいろいろ考えられます。
では「豊臣秀吉」はなぜ?
個人的な推測では豊臣家を滅亡させたので、祟りを恐れての配慮ではないのかと思います。
それにしてもこんなにきれいで豪勢な神輿は見たことがないです。
装飾もこだわっていてすばらしいです。
屋根には寅がいました。
そして、ついに本殿の前の「唐門」まで来ました。
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